CANAANと亡念のザムドの対比。最終回まで見て

最近見た映画:


コマンドー(7)
ナイト・オブ・ザ・リビングデッド(7)
ハムナプトラ(8)
マッドマックス(6)
アラビアのロレンス(8)
第三の男(7)
ハリー・ポッターと謎のプリンス(8)



最近見終えたアニメ:


東京マグニチュード8.0(9)
亡念のザムド(5)
CANAAN(8)



最近見たドラマ:


24(7)
侍戦隊シンケンジャー(9)


()内は10点満点の点数。


 これくらいか。
 ふむ、アニメからいくか。


 CANAANはふつうに上質のエンタテインメントだった。クオリティは高いしストーリーもいい。カナンかわいい。女の子同士がイチャイチャしてるのは実によい。goodだ。


 それに対して亡念のザムドは残念なアニメだった。もともとPS3のみで有料配信していたコンテンツであり、僕は毎日放送の深夜にあるアニメシャワーでTV放送されていたのを見ていた。
 26話のシリーズとしては屈指の映像美を誇る作品だ……が、ちっとも心をうたれなかった。


 おっと誤解しないでくれ。ザムドのこと、実はそんなに嫌いじゃない。
 個々のシナリオはけっこういいし、セリフも印象的。舞台設定は想像の余地が広くまだまだ遊べそう。メカデザ、キャラデザはかっこよく温かい。戦闘シーンは盛り上がった。そして一話一話の制作に莫大な労力と時間を割いていることがありありとわかる。


 それだけに惜しいんだ。企画段階でプロットの組み方をちょっと変えれば、もっと面白くなったと思うから。
 もし僕がシリーズ構成だったら……という仮定で、ザムドを面白くする方法を考えてみよう。


 どうしてこうなった?


 ザムドの特徴をあげると。
 複数の主役級の人物による群像劇。架空の世界を舞台にしたハイファンタジーだが、現代日本とよく似た街(あるいは島、自治区)で多くのシーンが展開する。技術レベルは20世紀中盤くらい?
 こういうことがわかる。


 いまひとつザムドを楽しめなかったのは、やはり「わかりにくかった」からだと思う。(それは制作サイドの狙い通りだが)
 僕が楽しめたCANAANザムド同様の群像劇なのだが、事件、舞台設定がすべて主人公のカナンに関わり、事件の多くは彼女の近くで起こっていた。主人公はあくまでカナンだ。


 これは僕が勝手に考えたことだが、作劇においてはキャラクターというよりキャラクターの関係を描くほうが面白くなる。そして4クールのアニメであれ、5分の短編であれ、ひとつの作品で描けるものはそう多くない。
 だから、プロットを作成するにあたってはまず「主軸となる2人の関係」をまず考えるのがいい。
 カナンでいうなら、カナンと大沢マリアの関係が物語の主軸だ。アルファルドのほうが重要と考える人もいるかもしれないけど、少なくとも僕にはマリアのほうが核心に近いように見えた。
 物語の要素を極限まで削り取ると「カナンが大沢マリアとの関係によって成長する」のがCANAANのストーリーだ。そこに「もう一人のカナンであるアルファルドとの戦い(関係)」や「蛇の陰謀」「ウィルスに汚染された村」なんかの要素が無数につけ足されたことで、カナンは完成している。あくまで主役はカナンとマリア。彼女らにスポットライトを当てることを意識し続けた結果、CANAANは傑作となった。


 で、ザムドの場合だ。
 ザムドにおける主軸の関係はアキユキとナキアミだ。西村ハルのほうが重要と思う人もいるかもしれないけどとりあえずそっちは置いておこう。 亡念のザムドはどんな物語だったか?
 そう問われて、僕はうまく言葉にできなかった。
 ザムドの主人公はアキユキだ。少年を主人公に据える場合、たいていは成長が描かれ、それが物語の軸になる。
 「アキユキがナキアミと出会い、成長する物語」……? それでいいのかな? それにしては、あんまりアキユキが成長した気がしないのはなんでだろう。


 ザムドの舞台設定は魅力的だがわかりにくい。
 全26話を見て、ようやくうっすら背景を理解できたようなわからないような、そんな状況だ。


 心で触れ、考える物語。


 いいキャッチコピーだ。しかし正直、考えさせすぎだ。
 エヴァみたいに考えさせられる(少なくともそんな気分にはさせた)アニメが受けたのは、エヴァにとてつもなく大衆的な要素が詰まっていたからだ。意味不明に思える設定に包まれていても、個々のエピソードは感傷的でわかりやすかった。主人公のシンジの心情に焦点があっていたから、異常な設定を無視して物語を楽しめたのだ。


 全26話を見た僕の理解では。
 死者から取り出した魂の塊、ヒルコをあがめるルイコン教徒のなかには、死ぬために生きているような巡礼者たちがいる。
 彼らのヒルコを集めて輪廻転生的ななにやらすごいことをしようとしているヒルケン皇帝。
 伊舟や雷魚は北政府の野望を打ち砕かんと、戦いに身を投じるのだった!


 ……やっぱりわからん。伊舟や雷魚はなんで北政府と戦ってたんだ。
 北政府と南大陸自由圏の戦争ってなんの意味があったんだ? なくていいじゃん。
 納得できる動機がないと、どうしても感情移入は無理だよ。


 そうだ、ザムドがあんまり面白くない理由がわかった。感情移入できるキャラクターがいないんだ。動機と目的を言明しないから、感情移入が難しくなっている。だからのめりこめないんだ。


 「見た人に考えてほしい」って聞こえはいいけど、それは視聴者を楽しませないってことだ。
 二度、三度見ればわかると公式サイトに書いてあったが、正直、ザムド26話を二度も見るよりハリウッドのアクション映画を5つくらい見るほうがためになると思う。少なくとも僕にとっては。
 

 わかりにくい設定と群像劇が組み合わさると、とたんに感情移入が難しくなる。
 米ドラマの24やCANAANでは、複数の視点が交錯する群像劇ではあってもハリウッド映画などでおなじみの舞台設定が使われていた。だから視聴者も追いついていられたんだ。


 ザムドを他山の石として、僕はこれからは感情移入しやすいキャラクターとわかりやすい設定を作っていこうと決意する。


 もし僕がザムドを構成しなおすならどうするか、二次創作のノリで考えてみよう。
 まず北政府と南自由圏の戦争をなくそう。あれは正直いらなかった。画面の華になるだけで、あんまり重要とは思えなかった。削除。
 自動的に、先端島のエピソードもほとんどなくなる。西村ハルが軍に入る必要もない。
 ……いや、ハルがそもそもいらないんじゃないか? だけど一応ヒロインだしなあ……うーん。まあいいや削除。
 とすると、面隠し状態から復活するきっかけをどうするかが問題になる。よし、ナキアミにヒロインらしいことさせてやろう。取水塔から落ちたアキユキを助けるのはナキアミの役目ね。
 面隠しから真ザムドとして覚醒したアキユキとナキアミ、あとヤンゴは、大巡礼を止めようとがんばる。最後に皇帝を改心させる、と。うん。これでいい。ヤンゴはエピローグのために必要になるから残しといてやろう。
 

 ――偉そうなこと言ってるけど、ぼくはまだノベルゲームを1つも完成させてないので、正直いうと信用できない。僕の書くことをあんまり真に受けないでほしい。もしあなたが作劇について学びたいなら、ちゃんとした脚本家の仕事術とかインタビューを読んだほうが有益だと思う。


 こまかな設定はこの公式サイトに書いてあります。
 http://www.xamd.jp/special/index.html